しなやかでやさしい人間になる!旅のすすめ「嵯峨嵐山」竹林、常寂光寺、お香づくりプラン
こんにちは、かのです*
しなやかでやさしい人間になる!!
という目標のもと、管理人自身がぶらり旅するコースを今後紹介していきたいと思います。
私は女性ですので、女性向けな内容が多めではあるかと思いますが、もちろん男性の方にも!サクッと、ゆったりと、癒される旅をお楽しみいただければ幸いです。
『旅』
というと、なんだかたいそうな聞こえかもしれませんが、リュックを持って(もちろんリュックでなくてもいいです(・ω・)ノ)、心をリラックスさせにいく。
もしくはリフレッシュさせにいく。
いろんな意味で「癒すこと」と「旅」はつながりが深い気がしています。
時間はあまり関係ないような気がしますね。
1ヶ月、1年、それ以上にもっと長いものから、1週間、3日、1日、何時間というとっても短いものであっても普段と切り離れたところで、景色やそこにいる人たちに触れ、自分を癒すことができればそれは旅。
旅することをおすすめします。
私のすすめる旅とは、ひとりで繰り出すこと。
一日から半日でサクッと回れるものを紹介できればと思います。
景色を観たり、音を聴いたり、その日の風や温度を感じたり、もしくは自分と対話をしたり、五感を使って、感情を揺らして、今自分の中にはないものを探しにゆく時間にしたい。
探して、見つけて、拾ってきたいのです。
この “五感を使う” ということ自体は、うつ病などの病気にも効果的だそうです。
私自身もうつ病の状態を経験しました。
この病気のストレッサー(ストレスの元)となるものは人それぞれ違いますが、仕事や生活などで過度なストレスがかかることにより脳内のセロトニン、ノルアドレナリンという物質が減ってしまうことが原因だと言われています。
セロトニン、ノルアドレナリンとは「嬉しい」「楽しい」「悲しい」などの感情そのものと深く関わっており、それが減ってしまうと感情の起伏がなくなってしまいます。
そして、無気力感や倦怠感を伴うのだそう。
多くの場合は睡眠にも影響が出て、何日分、何週間分もの脳内の記憶の整理が追いつかなくなってしまい生きていることも辛いような状態になってしまいます。
しかし、セロトニンもノルアドレナリンも、増やす方法があります。
それが “五感を使うこと”。
難しく考える必要はなく、
***
•美味しいものを食べる
•綺麗な景色を観る
•良い香りを嗅ぐ
•綺麗な音楽を聴く
•軽い運動をする
•趣味を楽しむ、、など
***
簡単でしょ??
苦しい、辛い、だから、人間本来の “心が幸せ” になることをしてあげよう。ということです。
それを全部まとめてできるのが旅の良さではないでしょうか*
病気にならないために 。= 予防
もしくは、
自分を豊かにするために。= 療養
全てはQuality of life(生活の質)の向上につながります。
以下、、
《嵯峨嵐山・竹林、常寂光寺、お香づくりプラン♪》
ずっと行ってみたかった嵐山散歩、竹林♪
簡単に写真とともにコース紹介。
常寂光寺
ネットで見た青紅葉がとても綺麗で聞いたことのないお寺でしたが、やさしい光が葉の隙間からはいってくるやさしいお寺でした。
いく途中には雑貨屋さんもありました。
松栄堂さん
お香作り体験♪
嵐山松栄堂さんのホームページから予約ができますっ
香り、紙、色、とても好き...
心地いいものを選びました。
ぐりぐりするのは幼少期に遊んだ
“色水(花と水をすり鉢にいれて色を出す遊び)” を思い出しました。
宿泊は「ファーストキャビン京都嵐山」
ここもネット予約で利用しました。
たしか飛び込みもいけたかな?
共用のリビングあり。
シャワーじゃなく銭湯があってくつろげるのも魅力。。。♪
*注意点として、
嵐山は観光地、21:00頃にはコンビニ以外すべてしまってしまうので夕食や朝食、必要なものの買い出しは早めに済ませることをおすすめします。
わたしはうっかり、お風呂にはいってゆっくりしてから晩御飯を探しに出ましたが真っ暗で、コンビニでお買いものをしました。
嵐山駅直結^^
屋上からの眺めです〜*
感情をゆらゆら揺らす旅
よかったら出かけてみてください〜♪
認めること、ほっとすること。
こんばんは、かのです*
わたしには4つ離れた妹がいるのですが、つい先日、一緒に買い物へ出かけました。
アクセサリーを見ていたとき、「あちらは妹さんですか?」と、少し遠くにいる妹が店員さんに尋ねられていました。。
今年から妹はひとり暮らしを始めました。
すごく寂しいという感じではないのだけど前と変わりました。
自分の身の周りで変化があるとき、今までのものが「懐かしいもの」になったり、「当たり前」が別のものになってしまうことに切なさや寂しさや悲しさがぐるぐる混ざったものが残ります。
最近は「変わりたくないな。」と、思う毎日です。
自分がたまに感じていたりする他愛もないできごとに嬉くなる気持ちや、生活の中でほっとする気持ちを今とおんなじ温度のまま失くしたくないです。
少し昔のことですが、わたしは20歳の頃から、摂食障害やうつ病、不安障害といった心身の症状を経験しました。
いくつもの葛藤と不安を抱えたまま競技に打ち込んで、この前まであったはずの生活があっという間になくなってしまい気づけば泣いていたり、自分が誰だかわからなくなったり、人生を投げ出してしまいたいと考えたことが何度もありました。
誰かに会って「嬉しい」とか、食事に出かけて「美味しい」とか「楽しい」とか、そういう気持ちも湧いてくれなくて、別れた後にも明日にも残ってくれなくなってしまうことがあるんだ。と、感じました。
「お腹がすいた〜」と好きなものを食べ、「疲れた、ねむたい」とあくびが出て眠る。当たり前にあったはずの生活が、あまりに遠く手の届かないものになってしまうことがあるんだと知りました。
大事なものを失くしたくないです。
日々何かを受ける度、いろんな意味で、わたしは今日まで何をしていたんだろう。と、自信がなくなるときがあります。
決めたことをやってきて、そのときはそれが一番いいと思ったはずで、今もそうで、けれど見方を変えると自分の視野の狭さを感じたり、自分の未熟さを感じたりして突然迷子になるような。
いろんなことを知って考え方が広くなるほどこれでいいのかわからなっていくと知り合いの方は話されていました。
一つのモノゴトからたくさんのことを受け取ったり、考え込んでしまうところが昔からあって、いくつかのことが自分の中で同時に進んでしまうことも苦手でした。
それをわかっても上手くやれない自分に怒ったり、自分で自分を嫌がったりしたこともよくあり、感情に振り回されてしまうことも否定的に捉えていたことがありました。
けれど自分だから受け取れることがあって、自分だからその言動になって、自分だから上手くいかないことがあって、それが「らしさ」だと言うのなら少しだけ心が明るくなるような気持ちになったこともありました。
自分のことを考えるタイミング、それにかかる時間はきっと人それぞれで、けれど、それとは別にわたしは目指すものと憧れを混同したこともありました。
自分の目指せる形、自分が安心する形、それを置き去りにしても憧れを重ねようとするわたしがいて、「こんな人になりたい」という強い憧れはたくさんの無理になって自分を傷つけることにつながりました。
それで最近思うことがあって、なんとなく、「認める」というのはすごく難しい気がしていたのだけれど、それは自分の中の「ほっとする」を見つけることのような気がします。
自分の見られ方や見え方、ステータスや夢よりも、まずは自分の見ている景色、感じている感覚の中で安心やほかほかする気持ちを見つけられることが今のわたし自身も大事にしたいことです。
知らない感情を経験して、知らない思いを経験して、これからもそうやって大人になるのだとしたら少しうんざりするような、けれど大切だと思う時間の中にいると「きっとあっという間。」という気持ちになったりもします。
気持ちは動いてばかりですが、時間は、少し愛しいです。
ご精読いただきありがとうございます。
寒くなったのでご自愛くださいね〜🍠
愛
今年したこともできたことも
変わりたいのに変われない。「辛いな」を変える一歩。過食症、うつ病、生きづらさに向き合う一歩。
変わりたい。変わりたい。
どんなに思っても変われないとき、それは癖のように、何かに縛られているように、私たちを元いた場所へ引き戻してしまう。
人は変わることを好まない。
変わらないことを好む。
だから、あなたのその反応は間違ってない。
身体が正しく働いている証拠。
でも何か辛い、苦しい、違和感があるとき、やっぱり何かを変える必要がありますよね。
私は自分が大嫌いになったことがありました。
大嫌いでたくさん自分を傷つけてみたりもした。
体は辛くて重たくて、生きてることが不安で仕方なくて、
「変えたい。」
「変わりたい。」
何度思って、何度試みても、悲しいほどに元どおり。
「苦しい。苦しい。でももう一回変えてみよう。」
「変わってみよう。」
そうしてもがくけれど、ただただ呆気なく時間が過ぎていくばかりでした。
どうしようもない時間を何年も過ごしました。
そのときの思考パターンというと、、
変わりたいと願うときに思い浮かべるわたし = 理想
に100%近づけようとする私がいました。
もちろん、これは無意識のうちに。
がんばって、きちんとすればできる自分だっている。
こうでないとわたしじゃないんだーっ!
という、理想のわたししか見ない主義。
理想って、夢があって、キラキラして、本当はもっと前向きなもの。
自分を苦しめるためにあるものじゃないでしょ?
決して理想を持つことが悪いわけじゃない。
理想しか見ないのが良くないことなんだって、気づいた。
理想に沿った自分しか認めない。
できないときの私は見ないふり。
もしくは否定。
気づけば自分を責める。
責めれば責めるほど不安になって、それは恐怖へ。
恐怖は増幅し、最後には孤独感を強くしてしまう。
そう、、
苦しくしているのは自分なの。
もちろん自分を責めなくなったからといってすぐに状況が変わるわけではないけれど、まず、それに気づくことは大事な一歩。
私は一時、食や不安、「死にたい」と思う気持ちに支配されない生活が“夢”に変わったことがありました。
けれど、今はそれが私の手のひらの上にちゃんとあって、「生きていてもいいかな。」と、そんな風に思えるようになった。
ちっちゃな一歩でも、その勇気が私を明るいほうへ連れてきてくれた。
何かをまるごと変える必要がある!
なんて思っていたけれど、生活や体調、心の傷、「苦しい、死にたい」と思ってしまう自分自身、何かを大きく変えれることがあるとしたら、それは少しずつのこと。
気づかないくらい少しずつの変化の積み重ねがつくるものなんだって、わかった。
だから、変えるのも少しずつでいい。
例えば、気分や調子の良いときと悪いときがあるとする。
このとき、悪いときの自分を土台と考えて、このレベルを1レベルずつ上げていくことを目標にしてみる。
そうすることで生活の質がうんと安定しやすくなっていく。
***
まずは自分の土台がどこなのかをきちんとわかってあげることが大切。
そしてそのうえで、一番下の土台のレベルを少しずつ上げていくことを考える。
今すぐにはダメな自分を許せなくても、それは心身ともに変わってこれば自然と許せるようになってくるもの。
今は、一番ダメだと思うあなたをきちんと見てあげて、知ってあげること。
どんなことを感じているのか、どんなことを苦しいと感じているのか、本当は今何を望んでいるのか、あなたが耳を傾けてあげること。
そして、そこからは次の段階。感情の理由を見つけあげる。
一つずつ応えてあげる。(このことについては次回以降にお話しします。)
コロッと理想の自分に変われたり、何か外からの画期的な方法で良くなることって人間誰しも難しいもの。
だからあなたがあなたに向き合って、私が私に向き合って、そうしてコツコツ丁寧に自分の向かう方向を指し示していくことが大切。
無理のないこと、できそうなことからやれればいいの。
前よりも何かをちょっと変えていければ、それは自然に積み重ねられて結果的に一番の近道になる。
今、自分を知ったら、がんばって何かをしようとするのをやること。
がんばってきて、努力してきて、もう十分。
休んでいいの。
心を癒す時間をつくってほしいの。
『今日は考え込みそうになったとき、息を深く吐いてみようかな』とか、
『お日さまの光を浴びてみようかな』とか、
『夜風に当たってみようかな』とか、
『お肉やお魚をきちんと食べてみようかな』とか、
『明日新鮮なお野菜を買いにいってみようかな』とか、、、
そんなことからでいいの。
それでも苦しくて涙が溢れそうなときや、溢れてしまうときがある。
けれどもそれも感じてあげる。知ってあげる。
「変わりたい」って思える気持ちは嘘でもなく、まっすぐなもの。
それを大切にする方法は、今あなたが苦しいと感じる気持ちを無視しないこと。もちろん全部ね。
つまり、
「変わりたいのに変われない」と責めるのもやめること。
***
責めることに使っていたエネルギーを、これからは癒すことに使ってあげる。
少しずつだけれど、わたしはそうしてきました。
体だけでも十分辛いのだから、心まで追い込んではだめなの。
“死ぬことと生きること”にも長く向き合って、暗く、孤独な時間を過ごしてきたけれど、そうして一つずつ積み上げてきました。
びっくりするくらい簡単なことから始めたら、自分の心も無理のないレベルをわかってくるから。
そしたら心地いいと感じられるペースもわかってくる。
もちろん、考え方も行動も、「変えよう」とすれば同時に「元に戻ろう」とすることがある。
でも、たまに戻りそうになったって、戻ったって、それでもまた次の日はやってみる。
また戻りそうになって、戻ったって、次の日はやってみる。
続けようなんて思わなくていい。
「今日は辛くなった。」
「今日は苦しくなった。」
「今日は死にたくなった。」
それでもいい。
毎日毎日リセットして、今日はできるのなら何か “変える” を選んでみる。
“癒す”を選んでみる。
その積み重ねでいい。
積み重ねることはエネルギーも必要。
でも、積み重ねたら、あるときふと前とは少し景色が変わっていることに気がつくはず。
前より土台が上がったことに気がつくときがくるはず。
というか、くるの。
***
だからそのために、まずはあなたを知ることから.・*
≫次回以降、「自分を知ってわたしが始めたこと」について具体的に綴っていきます。
日の当たるところに憧れて。
憧れは、ありますか?
眩しい空に手は届かなくても、掴もうと手を伸ばすことが大切。
ちょうどいい生き方を探しつつ、こころもあたまも毎日についていかなくなることがあると感じるすべての方の休憩所となりますように。